大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(行コ)242号 判決

控訴人

金鉉釣

右訴訟代理人

近藤康二

伊藤まゆ

佐藤博史

金敬得

被控訴人

社会保険庁長官

金田一郎

右指定代理人

長島裕

外四名

主文

原判決を取消す。

被控訴人が昭和五五年二月六日付で控訴人に対してした国民年金老齢年金の裁定却下処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二当事者双方の主張及び証拠の関係は、原判決事実摘示「第二 当事者の主張」・「第三 証拠」(原判決二枚目表五行目から三九枚目表初行まで)のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決一〇枚目裏二行目の「以下「国際人権規約」という」を「以下両規約を「国際人権規約」といい、前者を「A規約」という」に改め、二五枚目表二行目の初めの「(1)」を削る。)。

理由

一控訴人が明治四三年八月九日生れの在日韓国人であること、控訴人が通称である金井正一名義で昭和三五年一〇月一日から昭和四七年八月八日まで国民年金の強制加入被保険者として取扱われていたこと、控訴人が昭和三六年四月から昭和四六年六月まで、同年一〇月から一二月まで、昭和四七年四月から七月まで、合計一三〇ヶ月に保険料合計三万三一〇〇円を納付したこと、昭和五一年一〇月七日控訴人が荒川区長を介して老齢年金の支給裁定請求の手続をしようとした際、同区長は控訴人が日本国籍を有しない者でありながら国民年金に加入し、六〇歳に達したことにより被保険者資格を喪失したとされていたことを初めて知るに至つたこと、東京都知事が同年一二月二三日控訴人に対し昭和三五年一〇月一日に遡つて被保険者資格を取消す旨の処分をしたこと、控訴人は昭和五四年一二月二七日被控訴人に対し老齢年金の裁定請求をし、被控訴人は昭和五五年二月六日付で、控訴人は被保険者資格を有しないとの理由により右裁定請求を却下する処分(本件処分)をしたこと、控訴人は同月二七日東京都社会保険審査官に対し本件処分につき審査請求をしたが、右審査官は同年三月二七日付で右審査請求を棄却したこと、控訴人は更に同年四月二日社会保険審査会に対し再審査請求をしたが、右再審査請求の日から三ヶ月を経過しても裁決がないこと及び請求原因4(一)(1)(原判決三枚目裏一〇行目から五枚目表末行まで)の事実(国民年金法の目的・制度の概要)、以上の事実は、いずれも当事者間に争いがない。そして、「本件処分には法七条一項、八条、九条二号の解釈を誤つた違法がある。」及び「外国人が国民年金の被保険者資格を取得・保有し得ないとすることは憲法一四条、二五条に違反する。」との控訴人の各主張についての当裁判所の判断は、原判決理由説示二・三(原判決四〇枚目表末行から四九枚目裏九行目まで)のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決四四枚目裏八・九行目の「昭和三五年九月二一日年国発」の次に「四八」を加える。)。

二以上のとおり、日本国民であることは、法七条一項、八条、九条二号により、国民年金被保険者資格の取得及び保有の要件であると解すべきであり、法律においてかかる国籍要件を設けることは憲法一四条、二五条に違反するものではなく、また、右国籍要件は、強制加入に限らず、任意加入においても、法七五条一項・五項、附則六条一項・五項等により、同様に解すべきものである。

ところで、控訴人は、国民年金被保険者資格の国籍要件を欠くものであるが、明治四三年八月九日生れであるから、右国籍要件の問題を措くと、法七五条の任意加入被保険者の資格を有する者に該当し、また、既に述べたように、昭和三五年一〇月一日から昭和四七年八月八日まで国民年金の強制加入被保険者として取扱われ、昭和三六年四月から昭和四七年七月までの間に保険料として合計三万三一〇〇円を納付している。そして、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によると、昭和三五年秋頃から荒川区の国民年金勧奨員が控訴人方を訪れて同人の妻季奉化に対し控訴人の国民年金への加入を勧誘するようになり、季奉化は、控訴人が韓国籍であるからと話して一旦断わつたところ、右勧奨員から「韓国の人でも国へ帰らなければ、入つていると得ですよ。」と言われたため、控訴人の国民年金加入に応じたこと、その際、右勧奨員に控訴人の生年月日が誤つて明治四五年八月九日と伝えられたため(その原因は不明である。)、強制加入被保険者としての手続がとられることになり、控訴人は昭和三六年二月頃荒川区長に強制加入被保険者としての資格取得届を提出したこと、控訴人の国民年金手帳、東京都備付の国民年金被保険者台帳及び荒川区備付の国民年金被保険者名簿には、いずれも控訴人の生年月日が明治四五年八月九日と記載されており、控訴人が第一回目に交付された国民年金手帳のみは、季奉化の申し出により、荒川区の職員が控訴人の生年月日欄の明治四五年を明治四三年に書き直したこと、控訴人は、生年月日を明治四五年八月九日として算定された(明治四五年八月九日は歴史上存在しないので、実際は大正元年八月九日として計算したであろう。)強制加入被保険者の保険料を納付し、右明治四五年八月九日から計算すると控訴人は昭和四七年八月九日に六〇歳に達したことになるので、東京都知事及び荒川区長は同日以後控訴人が被保険者資格を喪失したものとして取扱つたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。〈証拠〉によると、任意加入被保険者たるべき者が誤つて強制加入被保険者としての資格取得届を提出したことが判明した場合は、本人から任意加入を希望しない旨の申出がない限り、行政当局は右資格取得の届出を任意加入の申出とみなして届書の訂正を行い、被保険者の種別の変更を行う運用がされていることが認められるが、右運用は法の趣旨に適う妥当な措置であると解せられる。そこで、控訴人の場合も、同人が任意加入であつても国民年金被保険者として取扱われることを望んでいることは明らかであるから――国籍要件の欠缺について後記のとおり判断されることを前提として昭和三六年二月頃した強制加入被保険者としての資格取得届の提出をもつて法七五条一項の任意加入の申出があつたと解すべきものである。

さて、法一六条の裁定は確認的行政処分であるから、老齢年金の裁定請求があつた場合、被控訴人は、当該請求者が老齢年金の受給権を取得しているかどうかを判断し、右判断に従つて裁定の可否を決定すべきものであり、右受給権の存否は、一般に実定法の規定の定めるところによつてこれを判断すべきものであることはいうまでもない。しかし、形式上は実定法上の関係規定所定の受給権発生の要件が完全には充足されていない場合であつても、特別の事情により当該請求者につき右要件が充足された場合と同視するのを相当とするような法律状態が生じているときには、右の形式上の要件の欠缺は被控訴人が右請求者につき老齢年金の受給権者である旨の裁定をする妨げにはならないものと解すべきである。本件において、控訴人が国籍要件を欠くことは、既に述べたとおりであるから、控訴人につき右要件が充足された場合と同視するのを相当とするような法律状態が生じているかどうかを検討する。前記のとおり、控訴人が国民年金被保険者としての手続をしたのは荒川区の国民年金勧奨員の勧誘によるものであつて、控訴人側では右勧奨員に控訴人が韓国籍であることを告げており、右手続をしたことについて控訴人側に責めるべき事情がないこと、控訴人は国民年金被保険者の義務たる保険料の支払をすべて終了していること、行政当局は昭和三六年から昭和五一年まで一五年余にわたつて控訴人を国民年金被保険者ないし六〇歳に達したことにより右資格を喪失した者として取扱つたことが認められる。右のような経過に弁論の全趣旨をも合わせると、控訴人は、自己に国民年金被保険者の資格があると信じ、将来被控訴人が老齢年金等の給付をするものと期待し信頼して、右期待・信頼を前提に保険料の支払を続けたことが明らかであり、また、右経過からみて控訴人がそのように信じたことをあながち軽率であつたということはできない。右のような信頼関係が生じた当事者間において、その信頼関係を覆すことが許されるかどうかは、事柄の公益的性格に対する考慮をも含めた信義衡平の原則によつて規律されるべきものであり、特に、拠出制の国民年金制度においては、被保険者の保険料負担と老齢年金等の給付はある程度対価的関係にあるから、この点からも、控訴人の右信頼は法的保護を要請されるものである。なお、控訴人が支払つた保険料の全額が控訴人に返戻されただけでは、控訴人の右信頼を擁護したことにならないことはいうまでもない。また、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によると、控訴人は昭和三六年国民年金への加入手続をとつて以来老後の生活を老齢年金によつて維持することを期待していた者であり、現在(口頭弁論終結時)七三歳に近く、最近は生活保護を受ける程に生活が困窮していて、今更国民年金に代替するような他の保険制度等を利用することは困難であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、右信義衡平の原則に従うと、以上認定した事実関係のもとにおいては、控訴人と行政当局の間で生じた右のような信頼関係を行政当局が覆すことができるのは、やむを得ない公益上の必要がある場合に限られ、右以外には許されないと解すべきである。控訴人は国籍要件を欠いているが、国籍要件をあらゆる場合につき維持・貫徹することは、右やむを得ない公益上の必要には当らない。なんとなれば、法制定当初から米国籍人には日米友好条約を根拠に国籍要件は適用されておらず、昭和五四年以来我が国は国際人権規約(A規約)九条により外国人に対しても社会保障政策を推進すべき責任を負つており、昭和五七年に至つて難民の地位に関する条約等への加入に伴い整備法による改正で国籍要件は撤廃されたことからして、国籍要件は、一切の例外を許さないような意味において国民年金制度の基幹に係るものではないというべきであり、控訴人の右信頼に反してまで国籍要件を維持・貫徹する必要性が公益上存するものではないと解されるからである。してみれば、控訴人と行政当局の間で生じた信頼関係を行政当局は覆すことができないから、結局、控訴人について国籍要件が充足された場合と同視するのを相当とするような法律状態が生じているというべきであり、被控訴人は、控訴人のした老齢年金の裁定請求に対し、右要件が充足されていないことを理由として、これを却下することはできないものというべきである。

従つて、控訴人のした老齢年金の裁定請求を却下した被控訴人の本件処分は違法であつて、取消されるべきものである。

三よつて、控訴人の本訴請求は理由があり、原判決は相当でないので、これを取消したうえで、本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する次第である。

(倉田卓次 加茂紀久男 大島崇志)

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